1 は、最小の正の整数である。0を自然数に含めない流儀では、最小の自然数とも言える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1
なんだ。流儀って。
流儀
1というと、「1位」だとか、「一丁前」だとか、ポジティブな印象が第一に浮かんでくるのは、私のエゴであろうか。エゴという言葉はこのような使い方をされることを認めるのかいささか不安ではあるが、少なく見積もって半数の人々は、私と同じ感想を持つのではないだろうか。
ただ、これはどう感じるだろう。
「この手術の死亡率は1%です」
「この手術は99%の確率で命に別状ありません」
1が突如、畏怖の対象になったのでは。
数字に対する感想や印象というのは、その前後の語によって、180度変わった見え方をすることがある。
論より証拠。人類は言語を習得するや否や、論で踊らせることで、暗くて長い夜を乗り越えてきたと言い伝える流儀がある。今考えた。論より数字が重視される現代社会において、この状況は改善されているだろうか?
確かに、あらゆる実験や検証において、数値が重視され、ある流儀では、それがきちんとした情報は信憑性が高いものとして扱われる。ただ、我々のような「情報のエンドユーザー」の中には、それら数値の恩恵を受けている人はどれだけいるだろう。
「数字を伴った論」の軽快なサウンドに、身も心も委ねて、踊り狂ってはいないだろうか?
さあ、胸に手を当てて考えてみようか。
私は特に心当たりはないね。あなたもないでしょ。
ここはパディングをめいっぱいに取るべきなのかもしれないが、空白のパワーは計り知れないもので、このサイトのように、一見意味がありそうだが、まあったく意味をなさない文字の羅列に、幾らかの文化的意義を持たせてしまう事態に陥ると、甚だいたたまれない気持ちになりかねないので、このくらいにしておく。
参考リンク
- https://ja.wikipedia.org/wiki/1
- https://toyokeizai.net/articles/-/280247
賛辞
この記事は本サイトの記念すべきでない初投稿である。
スクロールしてくれてありがとう。
コメント
おもしろい!